わたしが「時代旅®︎」をお伝えする理由

思い起こすと幼稚園の頃から、わたしは友人や年上のお姉さんたちに『ウルトラマン』や『花の子ルンルン』、『ギリシャ神話』などお気に入りのテレビ番組や物語の話をしては「なぜ、その物語があなたにとって知ると良いことなのか」をしばしば伝えていました。
当時の私は親や先生など周囲の大人が心配するほどの引っ込み思案でしたが、相手に望まれると別人のようになり、テレビや本に描かれたストーリーをもとに相手にとって必要であろう視点をお伝えしているような毎日でした。
長い時には3時間も語り続けていたような、今振り返っても偏った幼少期だったと感じます。
それだけの時間語り続けていたのは、その話がなぜそのような組み合わせや設定となっているのかという、構造の分析。
子どもながらにこうして設定を細分化し、組み合わせの相乗効果を知ることで、それらを今の日常にどのように取り入れて、未来の選択肢をどのように広げるのかといった視点を増やすための事例を伝えたかったのだと思います。
時は流れ、小学校時代に日本史に触れたことから、同じように歴史の中の物語を未来に繋げるための視点として捉えるようになりました。
中学生時代、とっても大好きだった大河ドラマ『武田信玄』の影響から長野県の川中島古戦場跡を訪れ、周辺の史跡巡りから何時間も城跡や見晴らし台から往時の地形を眺めていた時、かつてここで一生懸命に生きた人がいたことに想いを馳せた瞬間、「わたしが存在した事実を受け取りたい人が、必ず未来に待っている」と心の声が聞こえたのです。
その時、誰もが誰かの希望となれる存在であり、今のその人の選択が歴史の一部となることなのだと自分なりに受け止めました。
そのように捉えてみると、歴史の中には失敗もあれば成功もあり、さまざまな人生模様に彩られています。
今、大きな壁が立ち塞がり選択に迷っていたとしても、その選択が歴史の一部となるならば、たとえ失敗だとしてもそれを糧にして試行錯誤すれば多少なりとも道は見えてくるはず。自分が歴史の一部だと捉えられたことで、未来に繋がる選択肢はひとつではないと腑に落ちた体験でした。
その後、結婚するまでの数年間、ほぼ毎月川中島周辺を訪れては、そこに生きていた先人たちに想いを馳せつつ自身の現状になぞらえながら、その場に佇むという経験を重ねました。
自身の内面を深掘りしながら現状を多角的に捉えられるように川中島の地で内省を繰り返したことは、その後就職氷河期での就職活動を無事に乗り越え、思いもよらない出会いから結婚出産、ひいては起業へと人生の転機をこなすことができたことに大きな意味をなしたように思えます。
もちろん良いことばかりではありません。突然の夫の他界により残された息子2人を育てながら、介護の必要だった舅を看取り、その間も経営をしていればあるであろうさまざまな落とし穴にもはまる。しかし、その度にもう一度だけ立ち上がって一歩だけでも進んでみようと思えたのは、やはりあの、川中島を初めて訪れた時の体験があったからに他ならないでしょう。
そもそも起業しようと考えていなかったわたしが、あの川中島の出来事のおかげで会社を15年以上続けて来られました。歴史に触れたこと、歴史に支えられたこと、さらに歴史を見つめることによって緩急の大切さを身に染みて感じられたこと。夫を亡くし、2人の子育てをしながら会社を経営し続ける。そうした自分にとって、歴史という先人の他力を借りることができたことは、本当に幸せなことでした。
長い人生をフルマラソンに例えてみると、経営は一区間だと思います。
その区間を経営者という役割を受け取りながら、どのように緩急をつけて進んでいくのか。そのためには、未来につなぐための視点を、時代に合わせて常に増やしていく必要があると感じています。
視点が増えることで、これまで気が付かなかった捉え方を持てるようになります。それにより多角的に物事を分析できるようになり、未来への選択肢が広がる。
それこそが、時代旅®︎を通じてわたしがお伝えしたい『過去を知ることは未来とつながること』なのです。
豊かさの定義は多種多様にありますが、選択肢が広がると選ぶことができる未来の可能性が増える。その可能性の幅こそが、真の豊かさを意味するのではないでしょうか。
時代旅®︎を通じて一人でも多くの方に、そうした可能性を増やしていただけたら、こんなにうれしいことはありません。そのための入り口として、歴史や史跡、その宝庫となる神社から、お一人おひとりに合った物語をお伝えさせていただきます。

株式会社ATEA
代表取締役 大杉日香理